植物の誕生……神話①「古事記」と「日本書紀」


まず「古事記」。荒漠・浮動・曖昧模糊たる開闢(かいびゃく、世界の始まり)の世界。天ツ神の命令で、男神イザナギノミコトは、妻である女神イザナミノミコトともども国産みの作業に取り掛かります。

まず、男神イザナギノミコトが妻に尋ねます。「ところで貴女の身体はどのようになっているのですか」。女神が答えます。「ほぼ完成(とにかく世界だって、ほぼ完成した段階なのですから)、ただ一ヵ所、『成り合わぬところ』があります。ところで貴男の身体はどのようになっているのですか」。男神が答えます。「ほぼ完成しているのですが、ただ一ヵ所、『成り余りたるところ』があります」。そこで二人は、一方の『成り余りたるところをもって』もう一方の『成り合わぬところを塞(ふさ)ぎ(本当にそう書いてあるのです)』、国を産み出します。その後、海・川・山を産み、十人の神々をも産み……と国造りが続くのです。

ここで日本の神様の特徴ですが、西洋の「全知全能」・「唯一神」・「万物の創造主」である神様とは違って、「創り出さずに産み出す(「国造り」もさまざまの「産み」の結果です)」こと、また仕事は「すべてではなく、割り当てられた部分だけを一人で、あるいは複数で行う」ことです。古事記を読み進めるとこれがはっきりしてくるのですが、ここでは植物担当だけに話を絞ります。

産まれた十人の神々の中に、ハヤアキツヒコとハヤアキツヒメがいました。二人は、成長(?)して十二人の神々を産み出します。その中に「野の神カヤノヒメ」がいたとあります。「カヤ(萱/草)の姫」で、屋根を葺く萱の管理が担当です。つまり『創る』ことはしないのですから、担当とは言っても他の神様(この場合は両親神?)が産み出した「草々」の管理だけです。

ところでここで、いやいや……でも、しかし……カヤノヒメの両親は兄妹であるという事実……あ、事実なんて言えない……神話だもんな。だけど人の道にハズれ……あ、向こうは「人」じゃない、「神様」だ……いや、こんなことにかかわってしまうと、とりとめもなく長くなりますから、これはもう無視無視ムシムシ……です。ただ、余計なことを一つ……古代日本史上の大スターアマテラスオオミカミなどは、もっとず~っと後に生まれてくるので、カヤノヒメなどに比べれば、末っ子に近い妹の神様なのです。

で「カヤノヒメ」の担当業務ですが、江戸時代の国学者本居宣長によれば、地上の草や野の支配を任されたの「だろう」ということです。……じゃ、木……樹木はどうなんだ……となりますが、ボクがハアハアしながらページを探しても見つかるようなものではないみたいです。ただ途中、カヤノヒメの祖父母が「もうすでに山川草木(『木』……!)は生み出したのだから……」とつぶやいているところがありますので、この辺で何とかしてしまったのでしょうか。こんな曖昧(あいまい)さは日本の神様らしい、日本の自然天然っぽい素晴らしいところなのでしょう、きっと。

だからカヤノ姫が管理する品目はとにかく草!、それも草一般なのか、家の屋根を葺く萱だけなのかも、かなり曖昧に終わっています。この曖昧さはしかし、後世の人々から見れば、こじつければなんとでもなってしまいます。案の定この女神さまは、草と野に限らず、屋根、農作物、煙草、紙、染色などおよそ草やその製品に関わりそうなものすべての管理担当みたいになっています。これは、「カヤノヒメ(別名・異称あり)」をご神体に祀る全国の神社を廻ってみれば、よくわかるということです。

以上……あ、『日本書紀』がまだ残っていました……が、これ、省略します。ところどころ内容がズレる(たとえば「カヤノヒメ」の祖父母であるはずの神様が両親になっていたり)だけで、エピソードの多くはストーリーが同じですから。

「植物の誕生」第二話を終わります。お粗末様でした。

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